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東京家庭裁判所 昭和52年(家)7396号 審判

申立人 山木忠司(仮名)

事件本人 杉田加代子(仮名)

主文

事件本人杉田加代子の親権者を、本籍東京都○○区○○×丁目×××番地亡杉田礼子から、申立人山木忠司に変更する。

理由

一  申立代理人は、主文と同旨の審判を求め、その事情として、

1  申立人は、昭和二八年一一月九日、杉田礼子と婚姻し、長男忠夫、二男忠治郎、長女加代子(事件本人、昭和三五年三月二四日生)をそれぞれ儲けたが、その後夫婦仲がこじれてしまい、昭和四八年二月二三日調停離婚したが、その際、長女加代子(事件本人)の親権者を母である杉田礼子と定めて、事件本人は同女のもとで養育・監護されてきた。

2  ところが、昭和五二年四月一八日、親権者である母杉田礼子が死亡したため、事件本人について後見が開始し、同年六月二一日高田貞子が後見人に選任された。

3  しかし、事件本人は、その後、後見人の許から、生存する実父である申立人宅に戻り、同人の許で事実上養育・監護されることとなり、事件本人の兄らと共に、現在は円満かつ幸福な生活に入つており、後見人もその地位を辞任したいと申出ているので、これを機会に、事件本人の親権者を申立人に変更されたい

と述べた。

二  そこで、戸籍筆頭者山木忠司、同杉田礼子の各戸籍謄本、申立人に対する審問の結果および関係記録(当庁昭和五二年(家)第三六七七号の事件本人に対する後見人選任申立事件、同昭和五二年(家)第七三九五号の高田貞子からの後見人辞任許可申立事件)等を総合すると、

1  申立人は、昭和二八年一一月九日、杉田礼子(昭和六年四月一五日生)と婚姻し、長男忠夫(昭和二九年八月三日生)、二男忠治郎(昭和三一年一二月一九日生)、長女加代子(事件本人、昭和三五年三月二四日生)をそれぞれ儲けたが、その後性格不一致を理由に、夫婦の和合を欠くに至り、申立人と杉田礼子は、長期間にわたる紛糾の挙句、昭和四八年二月二三日、東京家庭裁判所で調停離婚したが、その際、長男忠夫と長女加代子(事件本人)の親権者を母である杉田礼子、二男忠治郎の親権者を父である申立人とそれぞれ定めて、子供らは各親権者の許で養育・監護されていた。

2  ところで、昭和五二年四月一八日、事件本人の親権者であつた杉田礼子が死亡したため、当時未成年者であつた事件本人につき後見が開始し、右礼子の姉である高田貞子から、東京家庭裁判所に対し後見人選任の申立(昭和五二年(家)第三六七七号)がなされ、当時、事件本人が、これまで父母の対立紛争を体験したことから、父である申立人に好感情を持たず、かえつて反撥し、申立人との同居を強く拒否していたのに反し、右貞子は事件本人と娘同様に親交・往来していたこと等の事情が考慮されて、同年六月二〇日、同家庭裁判所で高田貞子が事件本人の後見人に選任(同月二八日届出)されて、就職した。当初のうち、事件本人は後見人の許に引き取られて、生活することになつたが、母礼子に長く養育されていたこともあつて、遠慮がちな後見人宅になじむことができず、同家族間との違和感を解消できないまま、二か月を経過しない同年八月初旬ごろ、事件本人は父である申立人の許に戻り、現在、申立人に学資等を負担して貰つて、資格取得のためタイプ学校へ通い、兄忠治郎を含む家庭生活に落ち着き、特に日常生活や事件本人の監護・教育につき支障をきたすような事情もなく、円満に生活し、その反面、後見人は、申立人の許に走つた事件本人を責めることもなく、むしろこのような事態になつたことを冷静に受けとめて、この際、事件本人のための後見人を辞任したい意向を明確にして、同年一〇月三日、東京家庭裁判所に対し後見人辞任許可の申立(昭和五二年(家)第七三九五号)をなし、これが同家庭裁判所に係属中であり、同時に、申立人が、その責任と自覚をもつて、事件本人の親権者になる旨を希望して、本件の親権者変更の申立をするに至つた。

以上の各事実を認めることができる。

三  当裁判所の判断

(一)  本件申立の適法性

1  ところで、離婚の際に、定められた未成年者の単独親権者(母)が死亡した場合において、民法を形式的な側面から解釈すると、同法第八三八条一号前段の「未成年者に対し親権を行う者がないとき」に該当して、後見が開始すべきもので、生存中の他の実親(父)への親権者変更の余地がないものとされ、ただ同人が適任者であれば、同人を後見人に選任すれば足りることとされるが、本件申立において、申立人が、現にその手許で事実上監護・教育をしている事件本人(長女)に対する心情として、後見人であるというよりも、親権者でありたい旨を強く希望するように、国民的感情から、実親である以上、親権者として未成年者の監護・教育にあたらしめることが望ましいし、その方が当事者間のわだかまりも少なく、子の福祉的な面にも合致するものと思われること、また、離婚の際に、親権者を一方と定めるのは、親権の共同行使ができなくなつた結果、その主たる行使者を定めたに過ぎず、親権者とならなかつた親に対し、親権者としての適格性までも否定するものではない。

2  加えるに、我が民法では親権と後見とを区別し、未成年者の監護・教育は、先ず父母がその愛情でもつてあたるのが自然であつて、これを親権として把え、後見制度は、あくまでも右親権行使に期待できない未成年者に対し、補充的な役割を果すのが、民法の基本的な態度とされていることからすれば、第一次的な方法が法律解釈によつて可能であれば、先ずこれによつて対処すべきものであるから、後見人よりも親権者でありたいという申立人の意向は、法的地位が与えられる場合の単なる法律上の呼称にすぎず、法律論を離れた感情論的なものとして、これを一蹴することは困難と思われる。

3  さらに、民法第八三六条、第八三七条第二項によれば、親権の剥奪ないし辞任、親権者の所在不明により、後見人が選任された後であつても、親権を回復しうる場合があることの権衡上からみても、生存中の親が当然に親権者としての地位を回復するとの解釈はできないにしても、家庭裁判所が、具体的事情を考慮して、生存中の親に親権者としてのふさわしい事情が認められ、これが子の福祉の観点から肯定できる場合においては、親権者変更(形成)の審判をなしうるものと考えるのが相当である。

4  そうして、本件事案においては、前記認定のとおり、すでに後見が開始し、第三者が現に後見人として選任されている場合であつて、このような事態に至つては、もはや親たる地位に基づき親権者たる地位に就く余地はなくなるとの見解もあるが、当裁判所は、このような時期に至つても、なお前記のような解釈による結論は、これを異にすべき理由はないものと考える。けだし、このような場合、通常、後見人を排除して親権者の変更を認める必要性は少ないであろうが、後見人が選任された後においても、適格性の認められる実親が親権者となつた方が子の福祉の面において、より適当な場合もあり、その途を全く封じ得ないからである。そうだとすれば、本件申立を適法なものとして、取扱い、以下その内容を検討する。

(二)  本件申立内容の検討

前掲の各資料によれば、申立人は肩書住居地で○○○加工業(形式的には、有限会社○○○○○○工業所代表取締役)を営み、前記認定のとおり、すでに事件本人と同居し、事件本人をタイプ学校に行かせるなどして、事実上の監護・教育に努めており、現時点においては、後見人選任申立当時に懸念されていたような申立人と事件本人との感情的な反撥が解消され、その結果、父と娘の関係が本来の姿勢に改善され、兄を含めての家庭生活も安定してきたこと、および後見人である高田貞子は後見人に就職した後、これにふさわしい職務を遂行するいとまもないまま、前記認定のような事態となつて、もはや同人をして事件本人の監護・教育にあたらしめることはできず、同後見人からも、円満に辞任の意向が表明されると共に、この際、申立人が事件本人の親権者に就くのが最良策であると述べ、これが同後見人の真意に基づくものであり、かつ事件本人の福祉のためを思んばかりの結論であることは、右後見人に対する審問の結果によつても明らかであり、また申立人と事件本人の母方近親者(右後見人を含めて)間とのあつれき(対立ムード)もすでにみられなくなつたこと等を総合して、父である申立人には、親権者としての責任ある地位に就かしめて、事件本人の監護・教育にあたらしめるにふさわしい事情を肯定することができ、ひいてはこの措置が事件本人の福祉に合致するものと考える。

四  結論

以上のとおり、父である申立人を親権者の地位に就けるため、事件本人の親権者を申立人に変更すべきものであるから、本件申立を相当と認め、主文のとおり審判する。

(家事審判官 野口頼夫)

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